ブレず真っ直ぐ前向いて進むのみ

いつも恋だのセックスだの言っている私ですが、たまには真面目に夢のお話しでもしようと思います。今でもはっきり覚えているんですが、小学生の文集では「テレビ制作がしたい、人を直接的ではなく間接的に喜ばせたい」と書きました。なぜ間接的なのかは謎ですし、12歳の小6が直接だの間接だの中2病に足を踏み入れてる感がありますが、当時から自分は表に立つ人間ではないと認識していたようです。

 

小さい頃から高校生にかけては本当にテレビっ子で、午後7時から11時まではずっとバラエティ番組を見ていました。漫画家・小説家・声優・アニメーターなど一通り「いいな」と思うことはありましたが、テレビ制作はずっと考えていました。

 

高校生はほとんどを受験勉強に費やす暗黒時代だったんですけど、そんな私も高校2年生の演劇コンクールでは演出脚本監督をしてクラスを引っ張ったという輝かしい思い出があります。当時から大手予備校に通ってたんですが、その文化祭期間は勉強そっちのけで自習室ではどんな脚本にするか考える時間が最大の楽しみでした。

 

クラスの前でどんな物語なのか、どういう演出にするつもりなのかを説明するのは、すごくワクワクしましたし、みんなが私のアイデアに乗ってくれて「絶対優勝しよう」「こうしたらもっと面白くなる」と頑張ってくれたことは今の私の基礎になっているかもしれません。もちろん上手くいかないことも多くて、加えて、責任感と真面目の塊のような私だったのもあり、夏休み期間中に思ったように練習が進まなかったり、他の人が適当にしているのを見て、辛かったり悔しくて泣いたりもしました。

 

演劇コンクールは私たちのクラスは圧倒的に皆が練習の成果を出し切りアンケートの評価もとても良かったですが、2位でした。でも11クラス中なのでとても好成績だと思います。また、1位のクラスは脚本を担任の先生が作っていて、高校のことをドラゴンボールにのっけてイジったおもしろ風パロディ作品みたいなやつで納得できなかったです。私たちは当時GTOが流行っていたのでそれっぽい学園青春ドラマでコテコテのくっさいやつでした。自分で言うのもなんですがとても良かったです。でも私以上にクラスのみんなも「絶対2位っておかしいよな」と納得していなかったのが嬉しかったです。

 

私の高校は大学の付属校だったので受験する必要はありませんでしたが、高1で入部したバスケ部を正当な理由で辞めたいというのと、このまま付属の大学に行ってもキー局のテレビ局には就職できないと思ったので大学受験をしました。でも大学に入ってから自分のやりたいことが分からなくなる。これ3年前の記事です。
so0670ep.hatenablog.com

 

この当時の結論として、私はテレビ制作がやりたいと思っていた理由が「この世で1番おもしろいことがテレビだから」だったんですけど、大学に入ってからそれが1番ではなくなり、でも1番おもしろいことが何かが分からないと路頭に迷ってしまった。だと思っています。

 

そして紆余曲折を経て、私は自分がおもしろいと思うことを2回生の終わりに見つけることができました。まずこれが幸運です。それから3回生はそれを将来仕事としてやっていけるか、ということを念頭に活動しました。そして、これを仕事にしたいと決意した4回生。私は大学と平行してそれに関連する専門学校に週2で通います。

 

専門学校は実家から電車を1回乗り換えて1時間半かかる場所にあります。今は週2、たまに+aでお手伝いとして現場にバイトとして行く程度ですが、これが毎日(職場も多分このあたり)になるのかと思うと正直気が重いです。また、今までは趣味だったことが自分の中の「大学、バイト」と並ぶ「当たり前のもの」化してしまい、まだ働いてもいないのに生意気にも「趣味が仕事になって趣味がなくなる感覚がこれか」と思っています。

 

でも確実になんですけど、「ああ自分はこの世界に向いているな」と思います。専門学校に入ってなかったら今後の人生で関わりを持たなかったような、年齢も経歴も所属も違う共通点の薄い人たちと、「おもしろい」に向かって皆が一生懸命なところ、高校生の頃の文化祭とリンクするものがあります。そしてその道のプロになろうと思っている集団なので、当たり前ですが高校の頃とは本気度が違いますしやれることの大きさも完成度も違います。

 

たまに遅い時間までお腹空いているのに一銭にもならない作業してると「だる」「めんどくさ」「帰りたい」と思いますが、本番を迎えると今までのそういうのが全部吹っ飛んでまたやりたいと思うの、不思議。そしてまだ素人の自分たちが準備したものを軽く越えてくるプロの凄さにも感動する。裏方は表方の為に、表方は裏方のために、そして全ては観客のためにという構図が、誰かの為に自分がいるという感覚が好きだと思う。

 

アットホームで家族的な場所だからこそ、この人の為に喜ばれる自分でいたいと思える。表方だけではなく、同じ裏方の仲間に対しても。うん、向いてるんじゃないかなと思うし間違ってないと思うのよね。